日本史に想いを馳せる

日本史に想いを馳せる

文武に秀でた家康の腹心~赤備えで名を馳せた井伊直政の生涯

徳川家康の覇業を支えた名臣として知られる酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政の4名は、徳川四天王として現在に至るまで語り継がれていますが、この中で唯一井伊直政だけは徳川(松平)譜代の家臣の家柄ではありません。にもかかわらず、4人の中でも随一ともいえる勲功を挙げ、家康から深く信頼されるに至るまでには、並外れた苦労があったものと思われます。
日本史に想いを馳せる

大名への返り咲きを目指し大坂に散った長宗我部盛親の生涯

は、大阪の陣で豊臣方に参じた有力武将の中でも、後世の知名度こそ真田信繁(幸村)などに劣るものの、当時としてはかなりのネームバリューのある人物でした。今回は、2018年のNHK大河ドラマ「真田丸」で阿南健治さんが演じるたことでも話題になった長宗我部盛親の生涯を見ていきたいと思います。
日本史に想いを馳せる

徳川四天王随一の猛将・本多忠勝の生涯~真田信之の妻・稲姫(小松姫)の父として~

江戸幕府を開いた徳川家康には多くの名臣と言われる部下がいましたが、なかでも長くに渡って支えた知勇兼備の酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政の4名は特に徳川四天王と呼ばれてその活躍が称賛されています。
日本史に想いを馳せる

豊臣恩顧の名将~虎退治で名を馳せた加藤清正の生涯

熊本城の築城者である加藤清正は、豊臣秀吉子飼いの勇猛果敢な武将として知られていますが、決して武力一本やりだったわけではなく、知勇兼備の優れた人物であったようです。今回は、豊臣恩顧として大名にまで取り立てられながら、豊臣家を守りきることができなかった清正の生涯に迫ってみたいと思います。
日本史に想いを馳せる

真田信繁をも凌ぐ名将・毛利勝永の大坂の陣での活躍

あがるのは、何といっても真田信繁(幸村)ですが、実際には彼よりも活躍した武将が存在しました。毛利勝永として知られるその武将は、関ヶ原の戦いに敗れて浪人生活を送ったのちに、豊臣方の招きに応じる形で参陣し、長宗我部盛親、後藤又兵衛、明石全登、真田信繁と並んで五人衆と呼ばれる獅子奮迅の働きを見せます。
日本史に想いを馳せる

戦国初期の謀将・尼子経久~毛利元就に影響を与えたその生涯とは?

に謀将と呼ばれる戦国武将は数多くいますが、その中でもひときわ異彩を放つのが一時は中国地方の大部分を手中に収めるまでに至った尼子経久です。生まれが早く、武田信玄や上杉謙信などよく知られた戦国大名たちの一世代前に活躍したため、一般にそれほど名が通ってはいませんが、後に飛躍する毛利氏に大きな影響を与えるなど歴史を語るうえで外せない人物の一人です。
日本史に想いを馳せる

豊臣家の公達から世紀の裏切り者へ~小早川秀秋の数奇な運命

関ヶ原の戦いの主役は石田三成と徳川家康ですが、この二人に負けるとも劣らない存在感を放っているのが小早川秀秋です。関ヶ原まではあまり注目を集めることのなかった秀秋が、現在に至るまで裏切り者の汚名を着せられて歴史に名を残す存在になった背景には何があったのでしょうか。
日本史に想いを馳せる

大坂の陣の五人衆唯一の生存者・明石全登の謎に満ちた生涯

豊臣家が滅亡した戦いとして名高い大坂の陣において、五人衆と呼ばれる豊臣方の主力を担った5名の武将がいました。真田信繁(幸村)、毛利勝永、長宗我部盛親、後藤基次(又兵衛)とともに、この五人衆に数えられるのが明石全登ですが、名前の読み方をはじめ、その生涯は今なお不明な点が多く残されている人物です。
日本史に想いを馳せる

細川忠興とその妻ガラシャ~戦国の教養人と明智光秀の娘の生涯

細川忠興は、父の藤孝とともに教養人として知られる一方、豊臣秀吉、徳川家康という天下人に仕えて幾度となく功を立てるなど武将としても優れた才能を持ち合わせていました。 その妻であるガラシャは、明智光秀の娘として数々の悲劇に立ち会うことになりますが、夫婦仲は円満だったようです。今回は、大河ドラマ「真田丸」での矢柴俊博、橋本マナミの好演でも注目されたこの両名にスポットを当ててみたいと思います。
日本史に想いを馳せる

真田昌幸をしのぐ戦国一流の処世術・藤堂高虎の生涯

名だたる大名以外にも戦国時代には隠れた人気を誇る武将も数多く存在しますが、藤堂高虎もその一人と言えるのではないでしょうか。最近はゲームのキャラクターとしても人気を博しており、以前よりも知られるようになったようですが、その生涯について知ると、現代にも通じる一流の処世術を備えていたことが分かります。
タイトルとURLをコピーしました