大隈重信が創設し天野為之が育んだ早稲田実業学校の沿革とは?

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小学校受験で人気の早稲田実業初等部ですが、その運営母体である早稲田実業学校について詳しく知っているという方は意外と少ないのではないでしょうか。そこで今回は、創設者である大隈重信や、功労者である天野為之といった人物にフォーカスを当てつつ、同校の沿革について見ていくことにします。

早稲田実業の概要

早稲田実業学校は、日本の教育史において重要な位置を占める学校です。

1901年に大隈重信によって設立されたこの学校は、実学を重んじる教育理念のもと、多くの優れた人材を輩出してきました。

現在では、初等部から高等部までの一貫教育を提供し、生徒たちに幅広い知識と実践的なスキルを身につけさせています。

早稲田実業の創設者

創設者の大隈重信は、日本の近代化に大きく貢献した政治家であり、教育者です。

彼の強いリーダーシップと先見の明によって、早稲田実業学校は設立され、その後の日本の教育界に多大な影響を与えました。

大隈重信とはどのような人物?

大隈重信は、日本の近代化に大きく貢献した政治家であり、教育者です。

1838年に佐賀藩の上士の家に生まれた彼は、幼少期から優れた才能を示しました。

明治維新を経て、彼は日本の政治の中心人物となり、大蔵卿や外務大臣など要職を歴任しています。

特に、通貨・円の制定や日本初の鉄道敷設に関わるなど、財政・経済分野での彼の業績は計り知れません。

大隈はまた、教育者としても顕著な功績を残しています。

彼は早稲田大学の創設者であり、官学に匹敵する高等教育機関を育成するために尽力しました。

それだけでなく、日本女子大学の創設にも関与し、女子高等教育の開拓者の一人としても知られています。

彼の政治家としてのキャリアは、1898年に日本初の政党内閣を組閣したことで頂点に達しました。

しかし、この内閣は短命に終わり、その後は演説活動やマスメディアを通じて国民への影響力を保ちました。

1914年には再び内閣総理大臣となり、第一次世界大戦への参戦や対華21カ条要求など、国際政治においても重要な役割を果たしたのでした。

このように、大隈重信の生涯は、日本の近代化と教育の発展に深く関わるものでした。彼の理念と実践は、今日の日本社会にも大きな影響を与え続けています。

早稲田実業の沿革

1901年に大隈重信によって設立された早稲田実業学校は、実学を重んじる教育理念のもと、多くの優れた人材を輩出してきました。

創立当初から早稲田大学の学風に基づいた中等教育を進めることを目的とし、実業教育に重点を置いていました。

その名が示す通り、「実業」の精神を育てることで、社会に貢献できる人格の育成を目指しています。

学校の沿革は、創立者の教育理念を実現するための強い決意に基づいて始まりました。

早稲田大学のすぐ隣に最初の校舎を構え、多くの優れた人材を輩出してきました。しかし、時代の変化と共に、学校は教育内容を進化させ、2001年には国分寺市にキャンパスを移転し、男女共学化を実現しました。

これにより、初等部を新たに設けるなど、大きな変革を遂げています。

「去華就実」という校是と「三敬主義」という校訓は、早稲田実業学校の教育方針の核をなしています。

「去華就実」は、見た目の華やかさよりも中身を大切にすることを意味し、「三敬主義」は、他を敬し、己を敬し、事物を敬すという天野為之の教育理念に基づくものです。

これらの理念は、豊かな学識と表現力を持つ次世代のリーダーを育成するための指針となっているのです。

早稲田実業の功労者

早稲田実業学校の発展には、多くの功労者がいます。

特に、天野為之校長は、学校の基盤を固め、後の発展に大きく貢献しました。

天野為之って誰?

早稲田実業を語る上で、天野為之を忘れるわけにはいきません。

この天野為之という人物は、明治から昭和初期にかけて活躍した経済学者、ジャーナリスト、政治家、教育者で、法学博士でもありました。

1861年に江戸で生まれた天野は、東京大学を卒業後、東京専門学校(現在の早稲田大学)の講師として経済学を教え、日本における経済学研究の黎明期において、ジャーナリズム、教育、政治など多方面で活躍しました。

彼は特に、ジョン・スチュアート・ミルに代表される古典派経済学の紹介や、経済理論の普及に尽力しするとともに、東洋経済新報社の主幹として、経済ジャーナリズムの発展に貢献し、早稲田大学商学部や早稲田実業学校の基礎を築き上げた中心人物の一人とされています。

天野は、経済学の普及だけでなく、実際の教育現場においても大きな足跡を残しました。

早稲田実業学校の校長として、中等教育の段階で専門学校に匹敵する水準の教育を施すことを志向し、高等小学卒業後に他の専門学校で行う程度の教育を提供することを目指したのです。

天野の人物像は、穏やかな自由主義者として知られ、場合によっては保護主義を認める柔軟性も持ち合わせていました。彼の経済に関する活動は、国民に経済理論や知識の普及が必要不可欠であるという信念に基づいており、そのために経済教育の拡充を模索し続けました。

彼の生涯は、日本の経済学史上でも特に重要な役割を果たし、彼の理念と実践は今日の日本社会にも大きな影響を与え続けているのです。

早稲田実業の出身者

早稲田実業学校は、政治家、ビジネスリーダー、アカデミック、文化芸能など、多方面で活躍する卒業生を輩出しています。

彼らは、学校の教育理念を体現し、社会各界でその力を発揮しています。

王貞治や小室哲哉など、各界で活躍している卒業生を挙げればきりがありません。

おわりに

早稲田実業学校は、創立者の理念を受け継ぎながらも、時代の要請に応じて進化し続ける学校です。

これからも、社会に貢献する人材を育成し続けることでしょう。

初等部の難易度は高いですが、同校に関心がある方はぜひチャレンジしてみるとよいでしょう。

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